昔を偲ぶ滑り台@台湾近代建築の旅 10
台湾3日目、この日は平渓線という鉄道を走る列車に乗りました。
日本統治時代は炭鉱で盛えたローカル線です。
私達はバスで、中暦から平渓線の終点である青桐駅へ。終点から逆方向へと乗り込みました。
「菁桐」駅は、1929年に建てられ、70年以上の歴史を持つ古い駅。台湾に現存する4つの日本式木造駅の一つです。
電車の時間まで、駅周辺に残る日本式建築群をのんびり見学しながらお散歩。最近では、日本の様な民宿がはやっているのだそうで、北海道民宿という民宿もありました。
日本人が珍しそうにキョロキョロしながら歩くというもの変な話でもあるのですが、そこに広がる風景は何十年も前に一っ飛びしたような風景でした。まるで、「どこでもドア」を抜けたようです。
かつて炭坑を管理する日本人がたくさん住んでいて、その集落は、今でもその姿をとどめていました。
もう日本ではなかなか見れない風景ですよね。
昔懐かしい、裸足で遊びまわっていた頃の建物がまだそのまま。こんな家が並んでいて、家の前の土の道で ゴムとびやケンパや陣地取り等をして元気に遊んでいた頃を思い出しました。
あの時の匂いがする・・・
時空を越えて5~6歳の自分に戻ったような気さえしてきました。
建物は大事に残され、皇宮という喫茶店になっているものもありました。
ゆっくりとお茶でもしたかったな。。。
建物もですが、そんな中でも、とっても印象的だったのは、かつて子ども達が元気に遊んでいたであろう滑り台。壊されることも無くそのまんま。。。
苔むした滑り台は、そのまま、ぽつんと取り残されていて、ひと時の栄華となってしまった時代を象徴しているようでもありました。
子ども達のエネルギーが染み付いている。そんな印象でもありました。
国の急成長と共に、がんがん建物を取り壊し、新しいもの新しいものへと移り変わった日本とそのままゆっくりと流れてきた台湾。
日本の敗戦の時から、
同じ期間でこれ程までに風景が違ってくるものなんですね。
どちらが良い悪いではないですけど、
懐かしい空気が、なんだかとてもしっくりきたことは確かです。日本のノスタルジーを台湾で発見というものちょっと寂しい気もしますよね。
ローカル列車平渓線は、それほどまで鉄道に興味の無い私にとっては、まあまあでしたが、鉄子さんのEさんにとっては、格別のものだったようで、じっと座ってられないみたいでしたよ~あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ〜笑
背筋がピシっと伸びて素敵でした。
青桐から瑞芳駅まで乗車。
昔ながらの固い切符に判こを押して、記念に貰いました。
次は、九分に向かいます~
宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の舞台となったとも言われてますね。
この頃では誰もが行く観光地みたい。どんなところでしょう?
私達はランチを食べる目的で向かいます~
では
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