中暦・大渓老街@台湾近代建築の旅 3
成田朝7時45分集合。
わー早いなー
へたするとベッドから起き上がる時間だったりする7時45分。行こうとしたら、行けるものですね。笑 7時過ぎにはちゃんと成田にいました。4時おきでしたがね。
今回は、建築の旅です。 じつは父が建築家。 小さいときから、建築の話ばかり聞いて育ち、新建築やインテリアの雑誌は3歳の頃からじーっと眺めていたのを覚えています。
そんな環境からか、建物は大好き。 家具屋さん大好き。インテリアショップ大好きなんです。特にクラシックの木の香り漂う建築はたまらない。
ということで、出かけてきました台北ノスタルジア近代建築の旅 主催は日本橋トラベラーズクラブ 企画ならびにツアーコンダクターは建築を語らせたら止まらない白鳥さん。インドネシア織物の旅に続いて白鳥さんです。
初めての台湾、楽しみ~~
台湾早いですね、4時間であっという間に到着。(ちなみに帰りは2時間50分) チャイナエアライン、今まであまり印象が良くなかったのに、乗ってみると綺麗~~♪ 間違った先入観は、いかんいかんと反省しました。
参加者10名。 女性ばかり。
大型バスに乗り込み、早速、南西方面の桃園県中歴市に向かいます。県というのは日本統治時代の名残かな・・・
きょろきょろ、眺めてました。 車窓から見える花壇の花、樹木、面白い~~♪ 植物好きはどこに行ってもきょろきょろ眺めてればいいんですから、安上がりで、ほんといい趣味だと感心しちゃいます。笑
さて、いったんホテルで休んで、5時から観光開始です。
大渓老街の夜のライトアップを楽しみました。
老街というのは、清の時代や日本統治時代に作られた町並みのこと。
まずは、街へと続く 大渓橋から
なんとなく、ここはどこの国だろう?って言う感じ。こういう感じって、日本では外国人墓地って感じ?!正直、そう思っちゃいました、ここでは。。。
この下を流れる大漢渓という川が大きな存在。この川を使って、材木や多くの品物を運んだのが、この大渓の街が栄えた所以です。
ライトアップされてて雰囲気がいいです。
清の時代に漢人が入ってきて、先に住んでいた先住民のタイヤル人たちと接触して発展してきたそうです。1850年ころから発展しましたが、1896年の乙末戦役で、日本軍の砲撃を受けて炎上。1919年になって、日本総督府が都市計画を実施したそうです。
「並んでいる尖がり屋根の看板建築は当時主流だったバロック様式です。」
バロック建築とは・・・と、色々習いましたが、ここではあえて書かない。。。ほほほ、ちょっとしか覚えてない。。。でも、だんだんと、かなり分かってきましたよ~~
食べ物のお店もたくさん並んでいたのですが、なかでもこんなショップが目に付きました。
サンダルのお店です。
おしゃれでしょ~~?!
ディスプレイが面白い~~ ガイドさんが日本の名残~~っていってました。
お洒落ですよね。。。豆花のお店とか臭豆腐とか珍しいお店に目を惹かれつつ、夜のレストランへと向かいました。
客家料理に行くんだけど、ガイドさんも道が分からなくなって聞いたのがこのおばさん
無事見つかりました!客家料理のレストラン。
2013年にちゃんと客家委員会が認めてくれてるレストランでした♪
どんな料理が出てくるか・・・
それは、明日のお楽しみ~~♪
では
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