ホテルマジャパヒ2@インドネシア・織物と民族文化の旅 13
昨日の続きで、ホテル・マジャパヒの話題です。
↑建物を語らせると熱がこもるShira氏です。
オランダ植民地時代から今日まで、混沌とした歴史を見つめてきたホテル・マジャパヒ。1910年、優雅なアールヌーボーの姿でホテル・オランジェと言う名前で始まったこのホテルは名前を次々と変える運命をたどっています。
1942年日本軍により、オランダ植民地は崩壊し、このホテルも日本軍に接収されました。名前は「ホテル大和」と変わり、オランダ人女性と子どもの一時的な収容所として使用されたそうです。日本もインドネシアの独立を認め、インドネシアは独立の方向に進んでいました。
しかし、情勢は一変し、1945年8月日本はオランダを含む連合国軍に降伏し敗戦。オランダ政府は独立を認めず、スラバヤに戻ってきて、このホテルの33号室にオフィスを構えました。それに憤慨したインドネシアの若い民達は、オランダの旗が掲げられていた掲揚台に駆けのぼり、オランダの旗の一番下の青い部分を引きちぎり、赤と白を残し、それをインドネシアの旗とし声高々に独立を主張したそうです。それが有名な「フラッグ事件」です。
この日も青空の下、赤と白のインドネシア国旗がたなびいてました。
そして、インドネシア独立の象徴となったホテルの名前は「ホテル・メルデカ(自由)」と呼ばれるようになりました。その後、サーキーズ兄弟が戻ってきたり、様々な変化をしつつ、1969年インドネシアの古き良き時代マジャパヒ王国の名前から、現在の名前「ホテル・マジャパヒ」となり、今に至っています。
オランダが居を構えた33号室を見せてもらえることになりました。
奥のほうへ進みます。 タイルのデザインが綺麗ですね。お庭の手入れも行き届いてるなーなんて思っていると、もうひとつ奥にもっと広い素晴らしい中庭が見えてきました。
これが33号室のリビングです。隅の部屋で、特にスペシャル感は無く、普通の部屋を広くしただけって言う感じでした。
+++++
プールも夜10時迄は利用可能、スパも素敵そうでした。
もっと時間が欲しかったな。。。プールサイドでゆっくりしたかった・・・
また行こう!!!
朝のバイキングも品数多くて、楽しめました。
インドネシアでもお寿司がおいしそう~
フォーがおいしかった!
おばさんはみんなに笑いを強要しては喜んでます♪
おもてなしの心を存分に感じさせてくれるホテル・マジャパヒでした。
こんなちょっとしたことに嬉しくなりますね。
ホテル紹介が長くなりましたが、とっても気にいったのです。
優雅な気分にさせてくれたホテル・マジャパヒ ありがとう♪
では
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